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2012年5月号

2013年4月25日

eggタイムズ 表紙 12.5月号

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2013年4月25日

社長のコラム '12.5月号

社長のコラム '12.5月号
社長のコラム '12.5月号

『被災地 宮城県石巻市大原浜 』 
         
 やっと東北被災地に行く事ができました。

     
このコラム3月号でも触れていた、以前から支援活動を続けておられる株式会社日鐘の永山社長からの「漁師の皆さんが休憩する場所も無い」という話で『プレハブハウス』を届けさせてもらったのです。 

中古のプレハブハウスが、東北方面に出ていてなかなか手に入らず、それならと、随分古いが当社の物置に使っていたハウスを贈ろうと決めたのです。  

ハウスの荷物を出してみるとやっぱり汚く貧相でしたが、内装を修理し外壁のペンキも塗り直し、なんとか見られる程度となりました。  

さて問題は4トンロング車をリースしての運転です。 

聞いていた話では石巻市までは片道950キロ、今回の届け先は市街からまだ50キロ先の牡鹿半島大原浜という一番震源地に近いと言われる漁村です。  運転は社員の各務(かかむ)君と2人です。 この4トントラックという代物、各務君は初めて、私も約30年振りの運転でしたから、交代しながらとは言 え、やはり片道12.5時間は緊張の連続でした。

 
 初日、やっとの事で石巻市街のホテルに到着し、次の朝に現地へ運び込みました。


石巻市内あたりから震災の爪痕が目立ち始めましたが、あの阪神淡路大震災の1年後とは違った景色です。そう、阪神淡路の場合は歯が抜けたように建物が無く整地されていたのですが、こちらは大きな面で更地状態になっていました。言うまでもありません、津波が通ったのです。


ここから約50キロですが、どんどん建物が無くなっていきます。目的地の大原浜に近づくと、道路があるのに辺り一面何もない景色になります。全てを流し尽くしたのです。

住宅も病院も店舗も倉庫も信号も看板も何もありません。街なのに全て更地状態。二人とも言葉に詰まってしまい、無言のまま荒れた道路を走り続けました。
 

 この牡鹿半島は和布漁がメイン産業で、現地では今、和布漁の最盛期です。去年全く収穫出来なかったので、2年分を収穫しようと皆さん必死でした。2時までに出荷しなくては市場に間に合わないという事で、私たちも昼まで加工を手伝わせてもらいました。
                     


冶具を使って根株(めかぶ)の茎部分からそぎ落とす。 膨大な量、根気のいる作業です。本来なら工場でやるのでしょう

       
和布出荷のメドが立ち、さあ荷卸しです。以前は漁師町で賑やかであったろう広大な敷地にポツンとハウスを据え付け、アンカーボルトで固定。(ここでは風速30mの強風がしょっちゅう)他にもベ
ニヤ板や角材、ロープ、防災シート・自転車などなど。                             


漁長さんに聞くと、このハウスは漁師さんの休憩場所や応援漁師さんの宿泊場所に使うらしいです。とても綺麗だと喜んでもらいました。


漁師の皆さんと。一番左の方は去年4月からボランテイアに入り、ずっとこの地に留まり支援を続けておられる神戸生まれの奥田さん。
そのガンバリと根性には本当に頭が下がります。

 漁長の齋藤氏と。加工工場や設備も何もない状況で、事業を続けておられます。また、皆さんは高台に作られた狭い寒い仮設住宅のみでの生活。
本当に大変だと思いますが、それでも明るく前向きに頑張っておられた。  
 

ハウスを固定したあと、前述の奥田氏に周辺を案内してもらいました。 完全に住宅の基礎まで全て流し尽くされた景色を見るにつけ、改めて自然の驚異を感じるばかりです。  

また、沢山の悲しい話も聞くことができました。 流されながら自分の腕の中で亡くなっていった寝たきりのお祖母さんを波に取られ、自分は屋根から屋根に飛び移って助かったが、未だ行方不明のお祖母さんへの悲しみが癒えない漁師さんの奥さん。

行方不明の小学生の娘を探す為に何か月も掘り続けたスコップではダメだと、パワーショベルの免許を取得し機械をレンタルしてきて、ご自分で掘って探されたお母さん。(数カ月後小学校近くで発見されたそうです)

 

基礎まで持っていかれ、 牡鹿半島先端から離れ島≪金華山≫を望む 

綺麗に整地したように見える住宅地   

ここから50キロ先が震源地
この島との間の水深20~30mもある湾の水が津波第一波のあと、全て沖へ引いて海底が見え、その後10m以上の第二波が来て、リアス式海岸の奥地には30mにもなって押し寄せた。
(NHKの写真を見たがその光景はまさに、川底を洗うような引き潮だった)

高台の仮設店舗で何とか店を開いていた皆さんだが、この状況でもとても明るかった。

 たった1日の、初めて訪れた被災地でだったが、一番感じたのが被災者の皆さんの『何が何でも生きよう、少しでも前に進もう』という強い意志と気迫でした。

 船も無い、作業場所も無い、休憩場所、集まる場所も無い、それこそ何も無いこの状況です。心の底では油断するとすぐに萎えてしまう弱さがあるはず です。でもそんなところは微塵も見せず、一生懸命耐えながら頑張っている姿がそこにあり、私のような弱い人間が皆さんと接するのが恥ずかしいくらいでし た。 

そしてもう一つ、1年以上になるのに仮設住宅があるだけで、何も始まっていない国や行政の施策には憤りさえも感じました。 
別れ際に、「頑 張ってください」なんて簡単に言えない雰囲気がそこにはありましたが、敢えて言葉に出して伝えたその時の、1歳上の漁長の温かさのにじみ出たありがとうの 顔が忘れられません。 これからも何か私たちにできることはないかと話しながら、また、会社有ってのこの活動ができた事に感謝しながら、やはりヒヤヒヤ運 転で、無事帰ってきました

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2013年4月25日

完成見学会 「思いやりのあふれる二世帯住宅」

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2013年4月25日

現場レポート 12年 5月号 尼崎市 M様邸

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2013年4月25日

現場レポート 12年 5月号 大阪市 M様邸

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