HOME竹澤彰規会長ブログ > 今年も1月17日がやってきました。

今年も1月17日がやってきました。

 いつになっても忘れる事のできない、大きな揺れで飛び起きたあの日の朝から始まった修羅場の出来事。
 あの阪神淡路大震災からもう13年目になりますが阪神間では様々な復興イベントやセレモニーが開催されています。
でもこの出来事は被災された皆さんだけではなく、直接被災しなかった私たちもまた絶対に忘れてはならない、後の世代にしっかりと語り継いでいかなくてはならない事なのです。
 ここで昨年も引用しました一昨年のエッグタイムズ社長コラムを再度紹介致します。
エッグタイムズ06年4月号 社長のコラムより
 私は茨木市在住ですがあの平成7年の大震災の朝、大きな揺れで飛び起きた瞬間にテレビをつけ神戸震源を聞き、すぐに尼崎の実家へ電話しました。
その後全く繋がらなくなるこのワンチャンスの電話で両親や家が無事である事を確認し、胸をなでおろしました。ただ家の中の家具や食器類はメチャメチャの状態で室内でも靴を履き、電気・ガスはダメだという話しでした。
 実家も気になるのですがそれより神戸のお客様や友人達が心配で取りあえず見にいこうと4日後にミニバイクを買い、道具と水を満載し現地へ走りました。ご存知のように車は全く使えない状況が続きましたよね。
 国道171号線を走るのですが尼崎市と西宮市を隔てる武庫川で景色は一変しました。芦屋市から神戸市に近づくほど被害はひどく、信じられない光景がどんどん広がって来、建築を業としてきました私には震えさえも覚えてきた事を思い出します。
友人に会い、開かないドアを修理したり片付けを手伝っていましたら、みんな涙を流して喜んでくれました。
ただ私にできる事はほんの些細な事ばかりで、自然の脅威に驚くと共に人間の力の無さ、弱さを改めて身につまされた思いでした。
 その後何十回も神戸へ走ったのですが日がたつにつれ、街中のあちこちに花束がたむけられ、門柱だけが残る家の玄関にはダンボールにマジックで書かれた避難先の張り紙などがされてきました。
その張り紙の中には「娘の○○は震災で亡くなりました。お世話になりました。」といった悲しいものもたくさんあり、また老夫婦がガレキのの上に立ち、途方にくれている姿を見てフルフェイスのヘルメットの中で涙が止まらなかった事が忘れられません。
 この神戸に待っている人がいるのですから行かなくてはならないのですが、行っても思うようにはかどらない作業の事もあり、神戸へ向かうのが辛くて辛くてノイローゼになりそうな数ヶ月でした。
 ここで再確認しなくてはならないのはこの震災で亡くなられた6400余人の中でご自分の自宅建物や家具の倒壊で亡くなられたのが90%以上であるという事です。
住み慣れた愛着のある我が家に死に追いやられたとは如何にも残念な事ではありませんか。
また倒壊した建物の95%以上が昭和56年以前の旧耐震基準の建物であった事も忘れてはなりません。
 昭和25年に建築基準法が制定され、34年46年に改正、そして昭和56年に新耐震設計法を導入、平成7年と12年に基準が追加され、現在に至っています。
この後も十勝沖、新潟中越地震等の大地震に見舞われていますが平成12年以降の建物の被害は殆ど無く、この基準での木造建物は図面通り施工されていれば、まずどちらのメーカーや工務店でも、またどの工法での施工でも安全な建物と言えると思います。
以上、社長コラム
 最近のテレビコマーシャルなどではいたずらに耐震性の危険や怖さをあおるような表現が横行しています。私達建築を業となす者は何が何でも住まう人たちを安心して守れる建物を建てなければなりません。
耐震性をわざわざ強調して住宅を作るなんて具の骨頂なのです。そうです、わざわざ言わなくても安全が当たり前の事なのです。
全景
現在茨木市で建築中の当社施工建物です。当り前の、当社なりのこだわりを持った安全安心の建物です。
 話しは変わりますが昨年の漢字は『嘘』でした。「ケーキ」や「餅」「チョコレート」「老舗料亭」などの食品表示偽装が次々と表面化し、年金記録問題の発 覚や信じられない横領の事実。防衛省の汚職問題の発覚などなど、いい加減に『嘘』をやめて、正直な社会に戻さなければなりません。
『当り前』の事を『当り前』に行う正直な社会をもう一度作らなくてはなりません。
 私は建築を通し、会社運営を通してこの社会に認めてもらえる生き方を貫いていきたい思っています。
今後も皆様に安心と安全をお約束し、絶対に喜んでもらえる住宅、建物を作って参ります。

一覧に戻る