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団塊の先輩達

先日「三菱UFJビジネススクエア」というところの機関紙に「団塊世代の実像」というたいへん興味深い特集がありました。

 その特集では団塊の先輩達がその頃を振り返り、過去・現在・未来を語り合う内容となっていました。その中で私が一番注目したのは(団塊世代は) 『自分らしさに目覚め、自立という言葉を好み、他の世代に自分達の事を説明したり、概念化するのが嫌いではない世代』というくだりでした。
そうなんです、この団塊の先輩達(昭和22年~24年生まれをいう)はその数を武器に(私達の約1.3倍で680万人もいるらしい)年齢の近い私達後輩達 (昭和25~28年生まれでポスト団塊世代というらしい、私は27年生まれです)に対して自己主張し、概念化するのが嫌いでないばかりか、事あるごとに講 釈を垂れるのです。「我々の世代は・・・云々」と。
お酒でも入ろうものなら、それはそれはしつこくうるさい。

あの小学生時代、原っぱでカン蹴りやら陣地取りや胴馬の時でも我々の世代を常に家来のように連れ回り、いつも親分をやってたのはやっぱり団塊の先輩達。
またその上、団塊の先輩達はやさしくない。彼らは家でも外でも競争が激しかったから下の事などかまってる暇なんかない。我々の事なんかほっとらかしで目一杯勝つために走っていたのです。そうでないと取り残されるのですから。
また戦争の話しをいつも親から聞き、戦争そのものは知らずとも結構身近に戦争があった事も彼らの力強さのバックボーンとなっているのも事実でしょう。

話しをこの時代に戻しますと、大人になって社会に出てからもいつも私達の目の上のたんこぶ(失礼!)のように君臨し、あの時代を今もそのままに生き ておられる。あの高度成長時代の真っ只中でその恩恵を一身に浴び、バブルを経験し、それを十分享受してきた、本当にいい思いを一杯してきた運の強い世代で あります。
それに引き換え、我々ポスト団塊世代と言われる世代は常に彼らの影で表舞台を経験する事なく、どこかひっそりと生きてきた感じがあります。我々が35歳代の一番絶頂期にはバブルの恩恵を受ける事なく先輩達のおこぼれを細々と頂戴していたように思います。
しかしここで冷静に考えてみて、あの680万人もの先輩達みんながいい思いをしてきたのでしょうか?
いえ違うのです。この特集でも書かれていましたがあの680万人の人たち全部がアクテイブだったのではなく、ほんの一部分のはみ出した(またまた失礼!) 人たちがゲバ棒を振るい、社会を揺るがしていた?し、現在のリーダーとなっているのです。全ての皆さんがビートルズにはまっていた訳ではなく、「俺達の時 代の人間は・・・云々」、うるさく、講釈垂れなのはその中のほんの一部の人たちなのです。
そうなんです。私などが常に目の上のたんこぶと思っている人たちはほんの一部の勝ち残った?人たちなのです。

ここで絶対に忘れてはならないのは、本当にこの国の高度成長を担ってきたのはそのベースを成してきた団塊の大部分の先輩達であって、その人たちが目立ちたがりのはみ出した人たちを前面に押し出し、地道に根気良く裏方を務めてこられたからこそ今日の日本があると思うのです。

私達『ポスト団塊世代』はその両方の先輩達を見てきています。
従って、私達には優しさだけではなく、反面教師として決して表には出さないが、隠し持った芯の強さも持ち合わせているのです。
 ポスト団塊世代の皆さん、さあ私達の出番です。いやうっかりしているとその出番もあと数年で終わりが迫ってきています。
先輩達のいいところ、悪いところを鏡として、残された少ない我々の時代を目一杯生きてゆきましょう。
 
 大好きな先輩達に感謝を込めて!
たくさんの失礼にお許しを。

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