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大震災から12年

今日はあの忌まわしい阪神淡路大震災の日から12年が過ぎた忘れられない、また決して忘れてはならない大切な日です。
以前のエッグタイムズに書きました、震災にまつわるコラムをもう一度引用させて頂きます。

 

エッグタイムズ06年4月号 社長のコラムより

 私は茨木市在住ですがあの平成7年の大震災の朝、大きな揺れで飛び起きた瞬間にテレビをつけ神戸震源を聞き、すぐに尼崎の実家へ電話しました。
その後全く繋がらなくなるこのワンチャンスの電話で両親や家が無事である事を確認し、胸をなでおろしました。ただ家の中の家具や食器類はメチャメチャの状態で室内でも靴を履き、電気・ガスはダメだという話しでした。
 実家も気になるのですがそれより神戸のお客様や友人達が心配で取りあえず見にいこうと4日後にミニバイクを買い、道具と水を満載し現地へ走りました。ご存知のように車は全く使えない状況が続きましたよね。
171号線を走るのですが尼崎市と西宮市を隔てる武庫川で景色は一変しました。芦屋市から神戸市に近づくほど被害はひどく、信じられない光景がどんどん広がって来、建築を業としてきました私には震えさえも覚えてきた事を思い出します。
友人に会い、開かないドアを修理したり片付けを手伝っていましたら涙を流して喜んでくれました。ただ私にできる事はほんの些細な事ばかりで、自然の脅威に驚くと共に人間の力の無さ、弱さを改めて身につまされた思いでした。
 その後何十回も神戸へ走ったのですが日がたつにつれ、街中のあちこちに花束がたむけられ、門柱だけが残る家の玄関にはダンボールにマジックで書かれた避 難先の張り紙などがされてきました。その張り紙の中には「娘の○○は震災で亡くなりました。お世話になりました。」といった悲しいものもたくさんあり、ま た老夫婦がガレキのの上に立ち、途方にくれているのを見てフルフェイスのヘルメットの中で涙が止まらなかった事が忘れられません。
 待っている人がいるのですから行かなくてはならないのですが行っても思うようにはかどらない作業の事もあり、神戸へ向かうのが辛くて辛くてノイローゼになりそうな数ヶ月でした。
 ここで再確認しなくてはならないのはこの震災で亡くなられた6400余人の中でご自分の自宅建物や家具の倒壊で亡くなられたのが90%以上であるという 事です。住み慣れた愛着のある我が家に死に追いやられたとは如何にも残念な事ではありませんか。また倒壊した建物の95%以上が昭和56年以前の旧耐震基 準の建物であった事も忘れてはなりません。
 昭和25年に建築基準法が制定され、34年46年に改正、そして昭和56年に新耐震設計法を導入、平成7年と12年に基準が追加され、現在に至っていま す。この後も十勝沖、新潟中越地震等の大地震に見舞われていますが平成12年以降の建物の被害は殆ど無く、この基準での木造建物は図面通り施工されていれ ば、まずどちらのメーカーや工務店でも、またどの工法での施工でも安全な建物と言えると思います。                    以上、社長コ ラム                                             
 私達建築を業となす者は何が何でも住まう人たちを安心して守れる建物を建てなければなりません。
耐震性をわざわざ強調して住宅を作るなんて具の骨頂なのです。そう、当たり前なのです。
法を遵守し、そればかりではなく、その上に自分達の拘りの耐震理論を持ち、実践する事こそ私達プロの建築家に求められた責務であります。
 この耐震性だけではなく、安全の上に健康と笑顔を載せた住宅建設をこれからも進めてまいります。
絶対に喜んでもらえる住宅、建物を作って参ります。

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